日本が再び中国大陸に侵略した時、血と砲火の中で8年にわたる**抗日戦争(日中戦争)**が繰り広げられ、多くの優秀な軍人の命が犠牲になりました。その中には、故郷にすでに妻子を持ち、父親となっていた男性も少なくありませんでした。
銃を手に戦場へ赴いた男たちが守ったのは、中華民国という国だけではなく、愛する妻と子を日本軍の暴虐から守るためでもあったのです。
父親としてわが子を溺愛する暇もなく、その身分のまま戦場に入り、荒れ野の草むらの中で命を落とし、わが子の顔を一度も見ることなく逝った者もいました…
図説:中華民国の父の日の由来(兵士の敬礼)
図説:中華民国の父の日の由来(行軍)
わが国にこうした命をかけて祖国のために殉じた戦士たちがいたからこそ、中華民国の主権は守られ、台湾は光復(回復)し、我々の尊厳は保たれたのです。けれども、それは同時に多くの家庭から父親を奪うことでもありました。
こうした方々の犠牲と貢献に感謝を込めて、国は「8月8日」を父の日とする提案を行いました。「八八節(パパの日)」と呼ばれる所以です!
民国34年(1945年)の8月8日、抗日戦争の戦況が好転する中、上海の一部の愛国人士が「父の日」を発起し、戦場で国のために命を捧げた父親たちを称え、記念しました。
第二次世界大戦が終結し抗日戦争が勝利した後、上海市の各界の党国元老や名士紳士——呉稚暉(ご・ちき)、李石曾(り・せきそう)、潘公展(はん・こうてん)、杜月笙(と・げつしょう)ら——は父の日の意義が重大であると深く感じ、公式な父の日の慶典を設ける必要があると考えました。そこで連名で上海市政府を通じて中央政府に陳情し、毎年8月8日を父の日と定め、全国に遵行するよう通達されることを求めたのです。
父の日が毎年8月8日に定められたのは、「八八」(バーバー)が爸爸(パパ)と音韻が近いためです。さらに、「八八」の二文字をつなげると、ちょうど「父」の字のように見えることもその理由です。こうして8月8日が父の日と定められ、「八八節」(「爸爸節(パパの日)」)とも呼ばれるようになりました。