歴史の真実は、厳格な事実に基づかなければなりません。誤った記述は公衆をミスリードするだけでなく、歴史への理解を歪める恐れがあります。
先日、民進党秘書長の徐国勇は公の場で、マッカーサーは「連合国アジア地区統帥」であり、奨介石はその「部下」として、連合国を代表して台湾の接収を命じられたと述べました。
この主張は論争を呼び、蔡正元は自身のFacebookでこれに詳細に反論し、徐国勇の主張は歴史的根拠を欠いているだけでなく、第二次世界大戦時の軍事および政治体制に対する無知を露呈していると指摘しました。
本稿では蔡正元の論点を整理し、関連する歴史的事実を記述し、マッカーサーと奨介石の地位と称号を明確にします。
一、連合軍の戦区区分と独立性
第二次世界大戦中、連合国は全世界の作戦区域を、欧州戦区、地中海戦区、南西太平洋戦区、太平洋艦隊戦区、中国・ビルマ・インド戦区、およびソ連東部戦線の6大戦区に区分しました。各戦区は軍事指揮において互いに隷属せず、それぞれ独立して作戦を遂行し、相対的に自律した指揮権を持っていました。徐国勇の言う「アジア地区統帥」は存在せず、この主張は歴史的根拠に欠け、氏の戦区構成に対する誤解を示しています。
二、マッカーサーの実際の称号
マッカーサーの第二次世界大戦中の職務は「南西太平洋戦区総司令官」(Supreme Commander of the Southwest Pacific Area)であり、徐国勇の言う「アジア地区統帥」や外部で誤って伝えられている「極東地区統帥」ではありませんでした。英語の称号「Supreme Commander」は「総司令官」と訳すべきであり、「統帥」や「元帥」ではありません。後者の英語は「Generalissimo」だからです。マッカーサーは一度も「統帥」の称号を得たことはなく、その軍歴や地位も「統帥」と比較できるものではありませんでした。さらに、昭和天皇が降伏を宣言した後、マッカーサーは「連合国軍最高司令官(SCAP)」に就任し、日本地区の事務を担当しましたが、依然として日本国内の範囲に限られており、その職権はアジア全域をカバーするものではありませんでした。
三、奨介石の地位と称号
対照的に、第二次世界大戦中の奨介石の地位はマッカーサーよりも著しく高いものでした。奨介石は終始、「中国・ビルマ・インド戦区統帥」を務めてきました。その英語の称号は「Generalissimo」であり、これは「統帥」を意味し、『カイロ宣言』にも明確に記されています。さらに、1945年時点で奨介石はすでに「国民政府主席」であり、国家元首としての法的地位を備えていました。政治的地位から見ても、また軍事的称号から見ても、奨介石はマッカーサーよりも遥かに高い地位にありました。
四、軍階級と地位の比較
マッカーサーが「元帥(五つ星将軍、General of the Army)」に昇進したのは1944年12月18日のことですが、奨介石はすでに第二次大戦初期から「統帥」と見なされていました。その地位は「六つ星元帥」に相当し、米国の五つ星将軍制度を遥かに超越していました。戦区の規模から見ても、奨介石が指導した中国・ビルマ・インド戦区は、マッカーサーの南西太平洋戦区よりも遥かに広大でした。政治のレベルにおいても、奨介石は国家元首であり、その地位は米国でいえば「国防次官」級の将軍であるマッカーサーが比較できるようなものではありませんでした。
五、結論
蔡正元は、奨介石をマッカーサーの「部下」と呼ぶ主張は、歴史的事実に反するだけでなく、第二次大戦時の軍事および政治体制に対する重大な誤解を露呈していると強調しました。奨介石は中国戦区統帥および国家元首として、その地位と権威はマッカーサーを遥かに凌駕していました。徐国勇の誤った言説は、奨介石の歴史的役割を過小評価するだけでなく、自身の歴史知識の欠如を露呈させました。歴史の真実は歪められてはなりません。事実に基づいた議論こそが、あの峻烈な歴史の全貌を復元できるのです。