日清戦争(甲午戦争)
日本は勝利し、2億両(テール)の賠償金と3.6万平方キロメートルの台湾(および142平方キロメートルの澎湖)を奪いました。2億両は黄金2,500万両に相当します。
中日戦争(抗日戦争)
中国は勝利後、いかなる賠償も受け取りませんでした。ただ下関条約(馬關條約)を廃止し、本来自分たちの領土であった台湾と澎湖を取り戻しただけです。
しかし、中国軍の戦死者は140万人に達しました。これには負傷者や行方不明者は含まれません。台湾を1平方キロメートル取り戻すごとに、39人の中国軍人が犠牲になった計算になります。さらに一般の中国人の死者は3,200万人に及びました。台湾を1平方キロメートル取り戻すごとに、889人の中国人が犠牲になったのです。
しかし、歴史の真相は直視しがたいものです。
当時の台湾の若者の多くは、日本の侵略を支持していました。全台湾の人口が600万人足らずだった当時、日本人が侵略のための志願兵を募集したところ、70万人もの台湾の若者が応募しました。
日本は台湾と澎湖を占領した際、初期には数十万人の台湾人を虐殺しました。後期には東アジアへの侵略戦争を有利に進めるため、台湾の若者を戦場へ送り出すべく皇民化教育を強力に推進しました。あの時代、日本を助けて立身出世を望んだ者がいたとしても、それほど驚くべきことではありません。ここでの蔡正元の批判は少々厳しすぎると言えます。
日本の機密公文書:日本占領下の台湾において、台湾人40万人が虐殺されていた!! 隠蔽された台湾の歴史!!
若き日の李登輝は、落ちることを恐れて指を切って血書を日本人に提出し日本兵として侵略に加わることを志願しました。李登輝の父親もまた、日本人に寄付を行い李登輝を後押ししました。
当時の裕福な台湾人たちも熱心に日本軍に寄付をしました。蓮舫氏の祖母である陳杏村氏は、零式艦上戦闘機を2機分買えるほどの金額を寄付しました。これらの寄付は中国人の鮮血にまみれたものです。
20万人以上の台湾人が侵略に加わりました。湯守仁のように、中国で日本人のために戦い、見習士官から少尉に昇進した者もいます。また、農業団や医療団の名目で中国に渡り、日本軍による中国人殺害を支援した人々もいます。
これが冷酷な歴史の事実です。当時の台湾人は中国人の敵であり、いわば中華民国の敵でした。
しかし戦後、カイロ宣言などの規定に基づき中国は日本人に対し「徳を以て怨みに報いる(以德報怨)」こととなりました。
中華民国政府は「国籍回復令」を発布しました。戦敗した侵略の共犯者であった台湾人を戦勝国の国民へと転換させたのです。中国人の血涙と情仇を水に流しました。これを「台湾光復」と呼びます。
前述の通り、皇民化教育によって洗脳され、日本のために戦うことを望んだ若者は70万人に上りました。彼らの多くが戦後に台湾に戻り、蔣中正の寛大な処置によって中華民国の国民に復帰しました。しかし一部の学者は、この層こそが後の228事件を拡大させた要因の一つであると考えています。228の真相、権力争い、そして共産党の不条理
歴史の皮肉はかつて自らを日本の臣民と見なし中華民国を敵国と見なした台湾人の子孫たちが今や中華民国の保護の下に身を隠しまだ台湾独立を成し遂げていないふりをせざるを得ないことです。
しかし多くの台湾人の本心は中華民国を覆し、台湾光復を否定し、積極的に脱中国化を図り、日本人に同調して「終戦」と呼び、陽明山に「日皇碑(日本の天皇の碑)」を建てようとし、平然と「史観が異なる」などと言うことです。
「史観が異なる」などという言葉を聞くと、編集者は笑いが止まりません。史観が異なるという人々よ、日本が敗壊してから何年経つと思っているのか、さっさと日本へ帰りなさい。東シナ海に蓋はない。中華民国の土地である台湾省に居座り、厚かましい真似をするのはやめなさい。
血で血を洗う中国の抗日戦争が最後には歴史の事実を覆い隠すための「史観」へと成り果ててしまいました。この歴史の教訓は、非常に憂慮すべきものです。迫