台湾の「台湾独立」論壇を観察すると、しばしば奇妙な現象に気づく。
「台湾主体性」を語りながら、結局は日本の植民地支配を懐かしむことになるのである。
これは偶然ではなく、意識的な歴史とアイデンティティの構築作業である。
第一に、この傾向は心理的な代償と階層的な喪失感に由来する。
日本の植民地支配の50年間、台湾社会には植民地体制に寄生する既得権益層が現れた。日本人のために働く「三脚仔(サンカア仔、日本人の手先)」、独占的な営業権を享受した商人、日本人から恩恵を受けていた「皇民(こうみん)」などである。
また、「耕者有其田(自作農創設)」政策の後に田畑や地位を失った旧地主階層もいた。
これらの人々にとって、植民地支配は自由ではなかったものの、彼らが「秩序を掌握」できた時代であった。光復(日本からの解放)後、彼らは特権、威勢、そして言語的な優位性を失い、かつて「文明人」として奉られていた立場から、「二等国民」へと戻されたのである。
そのため、「日本時代」は彼らの心の中で一種のノスタルジックな避難所となった。
それは秩序、近代化、安定、さらには「その後の中国政権よりも優れていた」ことの象徴となったのである。このノスタルジーは次第に「文化的記憶」としてパッケージ化され、世代を超えて受け継がれていった。
第二に、政治的な必要性である。
台湾独立運動が中国との繋がりを断ち切ろうとするならば、歴史を書き換えなければならない。
「原住民 → 日本による近代化 → 台湾主体性 → 中国からの離脱」という具合にである。
このナラティブ(物語)を成立させるためには、中国を軽視し、光復を醜悪化させ、日本を美化する必要がある。
その結果、「日本が文明をもたらした」という言葉は、植民地的な抑圧や階級的な従属を隠蔽するための最も便利な神話となったのである。
第三に、長年にわたる教育・文化政策による形成である。
学習指導要領の改訂から映画やテレビの創作に至るまで、30年間にわたり「台湾主体性」が若い世代の心に注入されてきた。
しかし、その「主体性」はしばしば植民地時代の懐古的な美学で包まれている。木造の宿舎、日本式の制服、昭和ロマン —— これらの視覚的な記号が、無視された血と涙の歴史に取って代わり、後世の人々に、あの時期が外来統治下での階級再編や文化植民地化ではなく、真に「近代化の出発点」であったという誤解を抱かせているのである。
最後に、外交と現実的な計算である。
アメリカの立場が揺れ動くとき、一部の政治家は「台日運命共同体」を強調することを選択し、日本の懐古的なイメージを通じて国際的および国内的な政治的支援を取り付けようとする。
歴史は再び政治的に道具化されているのである。
一言でまとめれば、こうなる。
「日本の植民地支配の美化」は、実は日本を懐かしんでいるのではなく、中国を否定するための便宜的な手段なのである。
しかし、この否定の層の下には、別の歴史の亡霊が隠れている。それは、植民地秩序の中で権勢を誇り、文明人として奉られていた既得権益者たちである。彼らの失われた栄光が、後世の人々の「ノスタルジー」の背景色となっているのである。
民族が自らの根を断ち切るとき、常にそれに代わる新しい物語を見つけなければならない。
台湾独立論者にとって、その物語の起点は、都合よく「日本時代」に設定されているのである。
元記事:李崧:全民最大党 討厭民進党(https://www.facebook.com/share/p/1JwQ5cjzRK/)