📣 課綱微調争議と学生の行動に対する批判
最近、夏休み中の高校生たちが連日、教育部(文部科学省に相当)を占拠し、時には不法侵入までして、新課綱(新学習指導要領)の導入を阻止しようとしています。その後、これに関連して一人の休学生が自ら命を絶つ(いわゆる自死)という事件まで発生しました。
実質的な内容の、それもわずかな文言の微調整のために、命まで失われる事態になるのでしょうか? これは台湾における「もう一つの奇跡」とでも言うべきもので、かつて自由と民主主義のために最後の瞬間まで戦い抜いた先人たちの功績さえも色あせさせてしまうものです。
立憲主義と法治に対する疑問
時々、静かに自問自答してみてください:台湾は今でも立憲法治国家なのでしょうか?
もしそうであるなら、なぜ自分たちが選んだ行政体系を尊重しないのでしょうか? まさか、これらすべては「自分が投票しなかったから」という理由だけで正当化されるのでしょうか。
私は個人的に、学生を盾にするような行為に対して非常に反感を覚えます。
- 身分の定義: 「学生」とは一種の職業に過ぎません。学校という領域内であれば、何をするにしても交渉の余地はあります。
- 権利と責任: しかし、これらの「学生たち」が一歩学校の外に出れば、その身分と権利は一般市民と何ら変わりません。特別な保護を受けるべき理由もありません。ましてや、学生という身分を個人的な政治目的のために利用すべきではありません。
❌ 「シビック・バイオレンス」の否定
もし政府の決定(大規模な政策を指します)に不満があるなら、法律と憲法によって私たちに与えられた権力の下で抵抗権を行使しなければなりません。百歩譲ったとしても、現在の政府に行政上の誤った決定があったかどうかは、来年の選挙で国民が判断すればよいことです。
しかし、絶対にやってはならないのは、市民による暴力を、自らの要求を通すための習慣にすることです。なぜなら、皆さんは台湾が長い年月と多大な労力をかけて築き上げてきた民主主義の価値(これらは先人たちが血と汗を流して積み上げてきたものです)を踏みにじっているからです。
引用としての反省: この主張に対して、過去の白色テロや228事件、蒋経国の戒厳令解除などを対照に出す人がいることは承知しています。しかし、まず一点認識しておくべきは、それらの事件と、今回の課綱微調が将来に及ぼす影響の度合いは、レベルにおいて全く異なる概念であるということです。もし今、社会が課綱微調のために自死することを受け入れてしまえば、次はもっと些細なことのために命を絶つ者が出るでしょう。
昨年、学生が立法院を占拠した後、姚立明氏も「これは単発の事件であり、将来に影響を及ぼすことはない」と述べました。しかし、結果は見ての通りです。真似をする者が現れ、さらに思考の狭い年齢層が絶えず低下しています。
💔 自死事件と同伴者に対する道徳的批判
自死は絶対的な誤りであり、弁解や同情の余地は微塵もありません。
自らの命さえ守れず、むしろ積極的に傷つけるような人間が、守ろうとしている理想に価値があるとは到底信じられません。
- 仲間の責任: 命を絶ったあの若者の周りには多くの仲間がいました。彼が極めて激しい手段に出る可能性を察していた者もいたはずです。しかし、誰一人として積極的に有効な手助けをしたり、少なくとも彼を運動から切り離したりすることもしませんでした。
- 利用に対する批判: 仲間の命を積極的に守ることさえできなかったのに、事後になってそれを積極的に利用するのであれば、彼らの理想への執着など、私から見ればその程度のものに過ぎません。
自らの仲間を犠牲にするなど、泥沼に落ちて腐敗した老獪な政治家のやることだと思っていました。
結局のところ、一人の休学生の自死は、その少年の心理的資質の問題に帰せられるべきものであり、それ以外の何物でもありません。