「外籍勞工(外国人労働者)」、略して「外勞(ワイラオ)」。彼らは近年の台湾における過酷な労働現場において、欠かすことのできない重要な役割を担っています。しかし、民進党政権下で得意とされる数々の「正名(名称是正)」運動と同じく、誰かが「外勞という呼び方は差別的だ(汚名化だ)」と言い出したことで、今では「移工(イーゴン=移住労働者)」と呼ぶことが推奨されています。
最近、友人から聞いたジョークを皆さんに共有しましょう。
A:「外籍勞工を略して『外勞』。じゃあ将来、『外籍移工』に変えたら、なんて略せばいい?」
B:「外工(ワイゴン)……?」
A:「おや、お利口な孫(ワイゴン=外公=祖父)だこと」(訳注:中国語で『外工』と『外公(母方の祖父)』は発音が同じ)
正直なところ、四六時中こうした名称の変更に明け暮れている連中は、単に暇すぎるのでしょう。何もないところから仕事を作り出さなければ気が済まないのです。
それは、政治学科に入り、抗議活動を「職業」にしている学生たちと同じです。同級生や先輩たちの間でいかに頭一つ抜け出し、党幹部の目に留まるかが彼らの「学問」なのです。そうでなければ、政治学科を卒業して他に何ができるというのでしょうか(笑)。
本来、「勞工(労働者)」という言葉は中立的です。
「外籍(外国籍)」という言葉も中立的です。
なぜこの二つが合わさった「外籍勞工」という言葉が、差別用語になるのでしょうか?
それを差別だと感じる人は、根底では自分自身が「労働者」という職業に対して差別意識を抱いているのです。
あるいは、東南アジアの人々とのつながりを連想させる言葉そのものに不快感を抱き、その意味を覆い隠したい、変えたいと願う差別主義的な深層心理があるのではないでしょうか。
「外籍移工」と言い換えたところで、何かが改善されるのでしょうか?
「移工」と「勞工」、どちらか一方がより差別的であるなどと、誰が定義できるというのですか。
差別的なフィルターを通して他人を見ているから、何を見ても差別的に映るだけのことです。
「労働者」か「移り住む労働者」か、という問いの本質は、名称ではなく人間性と道徳にあります。
それは、かつて知恵を意味した「支那(シナ)」という言葉が、日本に媚びへつらう「緑脳」たちの目には差別用語として映るのと同じ理屈です(参考:中国=支那? 世界でたった二種類の人々だけがいまだに支那と言い続ける理由)。
もし人々に高い道徳心と感受性があるならば、かつて労働委員会(現・労働部)の主任委員を務め、現在は監察院長にまで登り詰めた陳菊(ちん きく)氏が、当時の高雄MRT外国人労働者抗議事件において労働者の権利を守れず、アメリカの人権報告書で台湾の評価を引き下げ、人権国家としての名声を失墜させた醜聞は起きなかったはずです。
他国の労働者に対する差別は、呼称の問題ではなく、内面にある卑劣な性格から生じるものです。名称を変えることで自らの内面にあるちっぽけな優越感を満たそうとする様は、実に虫酸が走ります。
[!NOTE] 「外勞から移工へ」:台湾では近年、外国人労働者への敬意を示すとして「外勞」ではなく「移工」への呼び換えが進んでいます。「高捷外勞弊案」:2005年、高雄MRTの建設に従事していたタイ人労働者たちが、劣悪な生活環境や管理側の搾取に抗議して発生した暴動事件。当時の陳菊氏は責任を取り辞任しました。迫