昨夜、台北市中心部で一部の若者たちが公物を破壊し、教育部に乱入する事件が発生しました。案の定、今日のFacebookは皮肉と激論で溢れかえっています。
通行人から大学教授に至るまで、一部の人々は今年2月の自由時報の報道「課綱微調 教育部に違法判決」を持ち出し、教育部の課綱微調はすでに違法だと主張しています。さらに、学生たちが逮捕・起訴されるのは、原因を作った教育部が強硬姿勢を見せたからであり、学生たちは法を犯さざるを得なかったのだと強調しています。
私は、このような思考停止による無理のある結びつけこそが、台湾社会の最大の問題だと考えています。自分たちに都合の良い世論を作り出すために、誤った情報を法を犯す言い訳にしているのです。
教育部に下された「違法判決」の真相はこうです。台湾人権促進会(どのような組織かはお察しの通りです)が教育部に対し、微調整会議の「委員名簿」と「議事録」の公開を求めました。しかし、教育部は委員の身の安全を守る必要がある(逆に言えば、公開すればネット私刑やバッシングに遭う懸念があった)として、これを拒否しました。
そこで、台権会は教育部を「政府情報公開法」違反で行政法院に提訴したのです。
行政法院の第一審判決を見ると、裁判所は教育部に対し、議事録と委員名簿の「閲覧」および「現場での筆記」を許可するよう命じた「だけ」でした(撮影すら許可されていません)。
つまり、「違法」とされたのは、教育部が委員の情報を台権会に開示しなかった点についてです。
裁判官はさらに、閲覧と筆記ができるのは台権会のみである(他の者が望む場合は別途申請が必要)と強調しています。
ところが、自由時報が当初「課綱微調 教育部に違法判決」という、極めて短く、かつ意図的な見出しを掲げたため、多くの人々がそれを**「課綱微調そのものが違法である」という決定的な証拠であるかのように触れ回った**のです。
事実は、教育部は確かに情報公開法には抵触しましたが、課綱微調という行為自体は違法ではなく、監察院の調査でも違反は見つかっていません。
「日治時代」を「日拠時代」に変えることや、「慰安婦」に「強制的」という言葉を加えるといった内容が気に入らないのであれば、抗議するのは自由です。しかし、法を犯す行為はやめてください。そして、誤った情報で一般市民を惑わすのも、自分自身を騙すのも、もうやめましょう。
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補足1
鄭麗君(てい れいくん)立法委員による呉思華(ご しか)教育部長への質疑応答を確認したところ、今回の微調整は、陳水扁政権時代に杜正勝(と せいしょう)氏らによって変更された内容を、それ以前のバージョンに戻そうとする試みであることが分かりました。ネット掲示板の書き換え合戦(WIKI編集合戦)のようなものです。
陳水扁政権当時、当時の杜正勝教育部長らが高校教科書の改訂を行い、香港の団体からも抗議を受けました。その改訂では「国父(孫文)」の呼称や「黄花崗七十二烈士」の事績が削除され、「武昌起義(武昌蜂起)」が単なる「事変(起事)」に書き換えられるなど、中華民国の正統性と歴史を切り離そうとする粗暴な政治操作が行われました。歴史教育を汚染するそのやり方は、多くの人々の憤りを感じさせました。
私個人の立場としては、以前のバージョンの方が適切だと考えています。杜正勝氏の改訂時にも批判はありましたが、当時の国民党は今の学生たちのように教育部に乱入して這い回るようなことはしませんでした。
特に、近年の李登輝氏による日本での発言を鑑みると、今の日本そのものを嫌いではないにせよ、「自分は台湾人だ」と称する連中が、日拠時代に命を懸けて抵抗した台湾人(原住民を含む)たちの思いをどこに置いているのか、疑問に感じてなりません。それなのに平気な顔をして「台湾を愛している」と叫ぶのです。
日本がそれほど好きなら、日本名に変えて日本に住めばいいのではないですか(おっと、尖閣諸島は日本のものだと言った李登輝氏には、すでに日本名がありましたね)。
補足2
今回の課綱微調で最も引き合いに出されるのは、陳水扁政権時の「95課綱」および「98課綱」です。
昨年3月、139名の歴史学者が新課綱の施行中止を求める署名を行いました。
しかし、この139名の中の多くが、かつて杜正勝氏の下で課綱制定に協力した委員であったことはあまり知られていません(当時の委員名簿も非公開でしたが、国民党は台權会のように提訴する知恵がありませんでした)。
さらに、この139名のうち「歴史学者」を自称する人々の多くが、実は「台文所(台湾文学研究所)」出身であることを指摘しておかなければなりません。
台湾文学の専門家が、いつの間にか「歴史」の専門家として振る舞い、自らの政治的意図を教育に反映させようとしている現状には、大きな疑問が残ります。
[!NOTE] 「日治」と「日拠」:日本の統治を肯定的に捉える「日治(日治時代)」に対し、今回の微調整では中華民国の正統性を重んじる「日拠(日拠時代、日本による占拠)」という表現への回帰が図られました。迫